りんごじゅーす について

はじめまして!
りんごじゅーすです♪

私のブログに興味を持って頂き有難うございます。

まずは、
私の事を知っていただきたいので、
自己紹介をさせてください\(^o^)/

 

名前 :
りんごじゅーす

星座 :
射手座

血液型 :
AB型

住み :
関東のどこか

職業 :
都内デパ地下の某洋菓子屋の販売員
(副業でインターネットビジネス)

趣味 :
ホットヨガ、ライブ鑑賞(お化粧バンド)、漫画(BがLってるやつ)

名前の由来 :
りんごじゅーすの由来は、

最初「りんご」にする予定だったのですが、

それでは”ありきたりでつまらない”と思い、

ジュースの中ではリンゴジュースが好きだったのもあり、

可愛げをを出すために平仮名で「りんごじゅーす」にしました。

けれど、林檎そのものはあまり得意ではなかったりします…

(シャキシャキの蜜がつまったのだったら食べられます/笑)

 

誕生編

 

ある年の大雪の日に私は生まれました。

その日限って、タクシーを拾うにも大変な位の大雪だったそうで、

誕生日を迎える度に良く祖母から聞かされていました。

 

そんな大変な気象のなか生まれようとしていたのですが、

実は母のお腹に命を宿した時にも、

1つ大変なエピソードがあったらしいのです。

 

私が命を宿して4ヶ月くらいまで、妊娠であることがわからなかったそうです。

 

体調がわるく、おそらく妊娠ではないかと思い、病院に行ったそうですが、

なんとそこでは「風邪」と言われたそうです。

でも、やっぱりいつもの風邪とは違ったので、違う病院で診てもらったところ

妊娠4ヶ月くらいだと分かったそうです。

 

なんやかんやで、無事に生まれる事が出来た私は、

赤ちゃんの頃から私は小食で、良く寝る子でした。

 

母乳やミルクも飲まず、ただただ寝てばかりいたので、

母はちゃんと成長するのか心配をしていたそうですが、

 

「でも、そんな子がここまで大きくなって良かったわ^^」

とこれまた祖母に何度も聞かされてきました。

 

(いまだにご飯食べる時や誕生日を迎える度に思い出す・・・)

 

幼稚園編

 

このときの私は、よく泣いていたし、ごっこ遊びや音楽に夢中でした。

 

とにかくママっ子で、幼稚園バスがお迎えに来る度に、

「ママとはなれたくなぁ~い」と泣いていました。

わんわん大声で泣くのではなくて、静かにポロポロと泣いていました。

 

幼稚園での思い出は、実はそんなに思い出がなくて、

(大好きな女性の先生に甘えていたり、うさぎを追いかけていた思い出)

幼稚園外で友達と遊んだ記憶の方が強いです。

 

友達とはよくごっこ遊びをしていました。「おままごと」をしたけど、

「セーラームーンごっこ」とか「お姫様ごっこ」を主にしていました。

ちなみに私はセーラーヴィーナスが好きです♡

 

家では、「お母さんといっしょ」を見ることが多く、

お姉さんとお兄さんと一緒に踊ったり、口ずさんだりしていました。

あとアンパンマンの歌もよく聴いていました。

 

この頃の記憶で、強烈に覚えていることがあり、

すこし・・・今でも怖いと思う記憶があります。

 

私は、折り紙のツルを折るのが下手くそでツルが折れませんでした。

そんな私を見た母が心配になって、ある日の昼さがり母と2人きりで特訓しました。

 

もうあれは私にとって怖かったです。

ひと折り度に「違う!」と叱られ、何度もなんども折らされました。

辺り一面には、私と母が折ったツル。その光景は今でも覚えています。

(今思えば、千羽鶴にできたかもしれない)

 

 

あの頃の話を母に聞いてみたら、当時の私は耳や鼻が悪く、

しょっちゅう病院のお世話になっていました。

しかも他の子に比べて小さい私を、母は心日頃から配していて、

少し神経質になってしたそうです。

 

ただでさえ心配なのに、他の子も折れている折ツルが出来ない。

そのことにとても焦りが出てしまい、あのような特訓になったみたいです。

後ほど振り返ってみて申し訳なく思った、と言っていました。

 

 

今だから親心をくみとれますが、当時はめちゃくちゃ怖かったので、

今でも折り紙を見ると、その時の様子が思い出されます。

 

小学生編

 

幼稚園卒業後、小学校に入る前に扁桃腺の手術をするため、入院しました。

これが人生初の入院デビュー♡

 

命には関わらない簡単な手術なのに、手術当日なにを思ったのか、

私は両親に向けてお別れのお手紙を書いていました。

 

「ママ、パパ、大好きだよ」みたいな手紙で、

両親も、簡単な手術だとは分かっているはずなのに、私の健気な手紙を読んで

目がウルウルしたそうです。

 

扁桃腺の手術も終わり、いよいよ小学校に入るという時に、

母方の祖父母が住んでいるところへ引っ越しました。

 

知らない土地、知らない人、仲の良い友達もいない・・・

 

慣れないことだらけと、またまた母と離れるのが嫌だった私は、

登校前は毎朝ポロポロと泣いていました。

そんな私の様子を近所の人も心配していたそうです(笑)

 

 

学校でも、周りの子と比べて出来ないことや、不安なことがあるとすぐにウルウルしていました。

 

そんな私の癒やしが「家」でした。

学校ではオドオドして過ごしていたので、家の中でははじけていて、面白いことや行動をしては家族を笑わせていました。

 

とくに祖母と一緒にいる時間は心が穏やかになり、一緒にアニメを見たり、お医者さんごっこや、学校ごっこをして遊んでいましたね。

 

そうこうしているうちに1年が経ち、2年生になる春休みの時に、「川崎病」という40度以上の熱が出る病気にかかり、人生で2度目の入院をしました。

その時は手術ではなく、薬による治療でした。

 

無事に退院して2年生にあがり、3年生と穏やかには過ごしていましたが、

やっぱり周りの子と比べて、出来ないことや分からないことはあって、

学校では内気で前に出て、皆とわいわい騒ぐタイプではなく、

仲の良い子2~3人とひっそりと室内で遊んで楽しんでいました。

 

そして、4年生の時に、人生3度目の入院を経験します。

この時は「肺炎」でした。

もうここまでくると、入院マスターですね(笑)

 

3回入院もすれば、慣れもあるし、看護師さんとも気楽に話していました。

というか、大人と接する機会が多いためか、同い年の子よりも大人相手の方が

話しやすかったです。

 

 

5~6年生の時は、体も少し丈夫になり、病欠も少なくなりました。

ただ、そのクラスがとても頭の良い子がそろったクラスだったので、先生も少し優秀な子に贔屓もしていたので、気持ちは窮屈でした。

 

 

中学生編

 

市立の中学校はとてつもなくマンモス校で、小心者の私は潰れてしまうと思った母は、

受験を勧めたので、中学高校一貫の私立の学校に入学しました。

 

住宅街の中にある学校で、まわりは静かで、友達も先生も穏やかな人たちだったので、

高校まで通っていたのですが、私はこの学校に入って本当に良かったと思っています。

 

小学校では、文芸クラブや、漫画クラブといったインドアな活動でしたが、

ここにきて「ソフトテニス部」に入部しました。

友達もみんな優しくて良い子ばかりでしたが、1年生の頃は、やっぱり同い年の子と

なじめず、上手くコミュニケーションが出来ませんでした。

扱い辛い子と思われていたかもしれません。

 

2年生になった時に同じクラスになった子からは、初めて薄い本(BL同人誌)を

教えてもらい、1回だけ夏コミ(2次元の日)にも行きました。

 

3年生の時には、友達がGackt(現:GACKT)さんのファンで、

その子の家でお泊まり会をした時にはライブDVDを鑑賞しました。

音楽といえば、アニソンや、ロードオブメジャーくらいしか知らなかったので、

こういった人もいるんだ~と、その世界感に感動しました。

 

また、違う子からは乙一さんの『夏と花火と私の死体』を教えてもらい、まんまと乙一ワールドに引き込まれました。

 

高校編

 

外部に行ってしまう子や、または、外部から入って来る子もいたけど、

だいたいはみんな残っていたので、引き続き楽しい学校生活でした。部活も継続してソフトテニス部で汗を流していましたね。

 

外部から来た子も加わり、賑やかで楽しく活動していました。

そのころ、某テニスの漫画が流行っていた時期で、友達とその漫画に出てくる技とかをふざけて真似していたこともありましたね〜。

案の定コーチに怒られましたけど(笑)

 

高校3年の時はあまり自分の進路に対してぼんやりとだけ考えていました。

何をやりたいのか、どんな仕事につきたいのか、あまり考えていませんでした。

 

クラスは仲の良い子も多かった受験組みクラスにしていて、一応受験を考えていましたが、

ちょうどその時、祖父が「すい臓ガン」であることが分かり、祖母と母は、そのお世話や介護で忙しくし、私自身も心の中は落ち着かずにいました。

そして母に、

「いま家が大変な時なんだから、受験はやめて欲しい。指定校推薦にしたらどう?それにあなたも精神的に楽だと思うよ?」

と頼まれ、単純な私は母の言うことに従いました。

 

成績はそんなに悪い方ではなかったので、無事に通り、家の手伝いに集中できました。

 

 

大学生編

 

中学・高校は一貫で、誰かしら仲の良い子がいる環境下で過ごしていた為、完全に知らない場所でのスタートは私にとってはストレス100%でした。

 

小心者で、積極的でない為、友達作りに苦労しました。

周りがどんどんグループを作ってお昼ご飯を食べているなか、私はひっそりとぼっちご飯をしばらくの間していましたね。

 

大学では高校3年の時から気になっていたあることに挑戦しようと決意していました。

それは「ドラム」。

軽音学部に入って、ドラムをやり始めました。

小学校から中学あたりまでピアノをやっていたので、手と足を同時に使うことには慣れていたけど、

また勝手が違ったので難しかったです。

 

でも一つずつ出来るようになったり、仲間と音やリズムを合わせて1つの曲をコピー出来た時は、とても気持ちが良かったです。

 

のんびりと大学生活を楽しんでいましたが、いよいよ就職活動の時期になった時でも、私はのんきに過ごしていました。

当然将来の事など深く考えていません。

準備も勉強も不足していて、おまけに話すのが苦手だったので、

就活は全敗。一社も内定はもらえないまま私は卒業しました。

 

社会人編

 

就活浪人という方法もありましたが、残る意味が分からなかったので、そのまま卒業しました。

 

でも、就職先は決まっていないといえども、ただ家でプー太郎になるのは嫌だったので、

何か仕事はしないといけないと思い、派遣会社に登録しました。

 

派遣で短期の仕事をしているなかでも、バイトから正社員雇用をしているところを探し、面接とかに行っていました。

 

その時に、今のデパ地下にある職場に出会ったのです。

 

居場所は見つけられたし、楽しいけれど辛い。

 

都内デパ地下のお菓子屋さんで契約社員として勤めて5年以上は経ちました。

 

シフト制で休みは不定期。

 

休み希望日は出せますが、結構私は気を使っちゃいますね。誰かと被ってないか、土日は出勤できるようにしたりと悩んでしまいます。

 

もっとも辛いのが12月。
特にクリスマス~年末。

 

朝から晩まで丸1日シフトが続きます。
閉店してからも作業があり、すぐには帰れません。
そして翌日も開店前の準備の為、早起き。

 

追い討ちをかけるように、
疲れが出て、高熱が出たり声もかすれたりしても、
体にムチを打って働きます。

 

休みたい。
けど仲間に迷惑がかかるから休みたくない。
休もうとする自分が許せない。
でも休みたい。

 

感情がグチャグチャになっていました。

 

最初の1~3年目は慣れていないというのもあり、
がむしゃらに、ただ仕事をこなす事に精一杯だったので気になりませんでした。

 

しかし、
4年目位から、だんだんと慣れ、周りも見えてくるようになり、ふと……

 

「いつまでこんな働き方をするのだろう?」

「体と心にゆとりがほしい」

「お給料は低いのに、ここまで無理して働く必要はあるのだろうか?」

「こんなに働いているのだから、もう少しお金が欲しい」

 

疑問と、今までの見て見ないふりをしていた感情が顔を出してきました。

 

その時に、

転職も考えました。
けれど、

面接に有利になるような資格がない
かといって、今から取るのは面倒

実績もない

事務など今更違うことが出来るのが不安

 

と思いなかなか踏み込めませんでした。

 

お給料の面では、

年数的にもだいぶ上の方だったので、店長への昇進もありましたが、

 

お給料は上がるけれど、サービス残業が多いなど色々過去の店長達の話を聞いて、あまり今と変わらない働き方だと思い、魅力に感じない。

 

副業で別の会社でバイトをしている人もいましたが、
体力のない私にとっては余計疲れるだけだから、やりたくない。

 

それぞれに、それぞれの理由をつけて諦めていました。

 

毎年その時期にゆううつになっては、
転職を考えてはやめる、の繰り返し。

 

お客様とお話をして、品物のご相談やご提案をし、ご購入していただく事は、楽しいしやりがいを感じますが、「働き方」に疑問を持ちつつ、

 

変わりたいのに、変わりたくない…

 

グルグルとした日々を過ごしていました。

 

ビジネスとの出会い

 

ある時、いつものようにTwitterでうろうろしていると、「インターネットビジネス」についてツイートをしている人を見かけました。

 

そういった収入の得る方法があるのは前々から知っており、過去に一度だけやって見た事もあるのですが、いまいちよく分からずやめていました。

 

実は、最初のうちは警戒心MAXで、「騙されるものか」と思っていました(笑)

 

けれど、知れば知るほど決して怪しいものではなく、
とても論理的で、再現性のある仕組みでした。

そして、自分の求めている働き方が出来るかもしれないと希望さえも持てました。

 

「このやり方だったら私にも出来るかもしれない!」

 

転職とか、店長になる…などのいきなりステージが変わるわけではなく、今の生活をしながら出来るものだったので、

 

「変わりたい!変わるなら今でしょ?やるなら今しかない!」

 

と思い、取り組んだのです。

 

これからの夢

 

単純ですが、まずはインターネットビジネスをし副収入を得たいです。

 

そして、

「体と心にゆとり」をもって生活をし、
誰かに気を遣わずに、

「自分が休みたい!」と思った時に休み、旅行とかに行きたいです。

 

私は今の働き方から抜け出したい!

 

無理をしたり我慢したりの「良い子ちゃん」で働くのは、もうやめたいです。

 

仲間の為を思って「良い子ちゃん」でいようとしますが、結局は都合よく使われて終わりなんですよね。

 

それから、「親孝行」をしたいです。
両親には、老後をお金の心配をせずに暮らして欲しいと考えています。

そしてそれは自分の為でもあります。

 

「お金がないから出来なかった」

「今よりお金を稼がなくてはいけないので、働かなくてはいけない。一緒にいる時間が取れなかった」

 

そういった後悔を1つでも減らしたいのです。

 

あとは、

ヨガのある生活をしたい

好きなブランドの洋服やクツ、バックを買いたい

好きなバンドのライブにたくさん行きたい

 

…など色々小さな欲望はあります(笑)

 

最後に…
これは厚かましいかもですが…

 

私と同じようにデパ地下でお仕事をしていて、
悩んでいるあなたの”希望”になりたいと考えています。

 

そして、そのために光となれるように日々精進いたします。

 

お読みいただきありがとうございます。

 

りんごじゅーす


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私は現在、デパ地下のお菓子屋さんで働くと同時に、
インターネットにメルマガを使った自分の分身(仕組み)を作って、
代わりに働いてもらうようにもしています。

この働き方に出会う前の私は、
シフト制の働き方に疲れ、
「体と心にゆとりが欲しい」と思っていました。

資格取得するのは億劫、
転職活動するのは不安…

そんな時にインターネットでの働き方を知りました。


☆りんごじゅーすの詳しいプロフィール☆


あなたがもし、
今の働き方が辛く、
転職や副業で悩み、
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