おばあちゃんと私。(その2)

その1では、
おばあちゃんとのエピソードをお話しました。

 

 

今回その2では、
おばあちゃんが
なぜ私がネットビジネスをやろうとした理由に
なったのかをお話していきます。

 

小学校1年生の時から、一緒に同居しており、
私が社会人3年目くらいの秋に脳梗塞で倒れました。
検査入院をしていて、あともう少しで帰れるという時の出来事でした。

 

 

一命はとりとめましたが、
半身が動かなくなり、
寝たきりの状態となりました。
意識がもどり、集中治療室から出られ、
ちょっと落ち着いた時に親戚たちとお見舞いにいきました。

 

 

その時の祖母の様子は今でもはっきりと覚えています。

 

 

談話室で待っていたところに
車椅子に乗って来た祖母は、
まるで別人でした。

 

まず、倒れた時に顔を打ったらしく、
青紫色をした痣が痛々しく残っていました。

 

そして、目がボーっとしていて、
なんだか虚(うつ)ろなのです。
こっちを見ているのかいないのか…

 

表情もあんなにいつも
ニコニコ優しい笑顔を向けてくれていたのに、
目の前にいる祖母は全く笑っていません。

 

体も、半身に力が入っていないからか、

まっすぐな姿勢をとれずに斜めになって座っていました。

 

 

正直、私は怖くてその場から早く立ち去りたかったです。
「ここに座っている人は誰なんだろう?怖い。」と思っていました。

 

 

恐る恐る「私のことわかる?」と祖母に質問してみました。
それくらい反応がないのです。
そうしたら祖母は「うん」と声には出しませんでしたが、頷いてくれました。

 

 

その日の夜は祖母のあまりの変わりようにショックで、なかなか眠りにつけませんでした。
そしてこれからどうなるのだろうと、不安も覚えました。

 

 

出来ればまた一緒に住みたい、過ごしたい。

 

 

母も介護をする覚悟でいましたが、
祖母の状態は重く、
母の負担も多くなることから、
自宅介護はやめ、
また有難いことに受け入れてくれるところもあったので、病院や施設のお世話になることを決めたそうです。
(多少この辺の事は、私は関与していないので曖昧です…)

 

 

毎日一緒にいたのに、
検査入院を期に離ればなれになるなんて…。

 

 

一緒に住めないと分かった時は落ち込みましたが、ふと祖父との約束を思い出し、2回目の誓いをたてました。

 

 

それは、私小学校の頃だったと思います。
ある日祖父と私の2人で買い物に出かけたときのこと。
家の最寄り駅の隣にあるドトールで休憩をしようと入りました。
2人でアイスココアを飲みながら、
祖父は祖母との昔話をぽつりぽつりと話してくれました。

 

 

実はイトコ同士で、
祖父とは10歳くらい離れていること。
「兄ちゃん」と後ろをくっついて歩いていたこと。
よく勉強などの面倒をみていたこと。

 

 

そして話の最後に、
「おばあちゃんのこと、これからもよろしく頼むよ。」と言いました。
その時はよく意味が分からず、
祖父と対面で話していたというのもあって、
ぶっきらぼうに「うん」と返事をしただけでした。
ずっといつまでも家族みんなで暮らしていけるものだ、と思っていたので、
何を言っているのだろう?
そんな気持ちでした。

 

 

その日から何十年か経ち、
私が高校3年の時に祖父は膵臓がんになりました。
祖母と母は毎日病院へお世話をしに行き、
一時帰宅をした時も当たり前ですが、祖父につきっきりでした。

 

 

私はそのとき環境の変化で心が不安定で、
自分に構ってくれず、
しかも色々と怒られることに腹を立てていて、
祖父の事を邪魔だとまで思っていました。
(なんて超絶こども思考で、構ってちゃん/笑)

でもやっぱり少なからずは心配の気持ちもあったので、時々私もお見舞いに一緒に行っていました。

 

 

祖父の事を密かに疎ましく思い続けて大学1年の秋、もうすぐ祖父の誕生日間近という時に、
祖父は旅立ちました。

 

 

葬儀の時、私はこれまで祖父に優しく出来なかったことをとても悔やみました。

 

寂しさと後悔が混ざった気持ちが私の中でぐるぐるとしていましたが、
深い悲しみの中にいる祖母の姿を見て、
あの日の約束を思いだし、
心の中で祖父に約束しました。

 

 

これからは私が祖母の側にいて、
悲しみは癒えないかもしれないけど少しでも笑えるように、側にいて支えてく、と。

 

 

だから、
祖母が脳梗塞で倒れ一緒に住めないとなった時も、
もう1度祖父との約束を胸に刻み、
そして、祖父の時のような後悔は絶対にしないとも決めました。

 

 

お見舞いには週1・2のペースで行って、
寝たきりだと体のあちこちが痛むらしく、
手や足をさすったりしました。

たいした事はしていませんが、
病室で1人、ほとんど動けず天井か横を向いてテレビを見るだけの
祖母の気持ちを癒やしてあげたい、と思う気持ちでやっていました。

 

 

でも、

帰る時の祖母の寂しそうな目をしながらも
「来てくれてありがとう。気をつけて帰るのよ。」
と見送りの言葉をくれた時には自分の無力さを、思い知りましたね。
母と後ろ髪を引かれながらも帰ったのを覚えています。

 

最後の最後まで、祖母は優しくて心の温かい人でした。

 

 

脳梗塞から倒れてから約5年、
たしか3回目の脳梗塞を発症したのち、
祖父のもとへと旅立ちました。

 

 

祖父との約束は守れたかは分かりませんが、
後悔はしていません。
自己満足ですが、
私なりにやれる事はやりきったという気持ちです。

 

 

ところが、祖母との思い出に浸るのも束の間。

 

 

相続の件で母たちは慌ただしい日々を過ごすようになり、
私は将来(特に金銭面)について不安を感じるようになりました。

 

 

母には姉1人、兄2人いるのですが、
相続の分配で、
私たち家族は長年住んでいる家(土地)をもらいました。
現金はどうやら頂いてないみたいです。

 

 

私にとっては慣れ親しんだこの家に住めることはとても嬉しかったです。

けれど、母が子供の頃から住んでいる家なので、古くなっており、かなりの箇所のメンテナンスが必要です。

それは基本私たち家族が負担するようなのです。

 

 

土地を売るという方法もあるのですが、
場所がいまいちなので、
なかなか難しいかもしれないとも言っていました。

 

 

父は働いていますが、70歳近くになっているので、だんだんと体力的にも厳しくなってきています。

 

私は契約社員で働いており、
給料は有給を使って月16・7万位です。

 

 

家のメンテナンスをするとなった時や、
父が退職した後の事や父や母の老後の事などを
考えると、途端に不安になりました。

 

 

私は一人っ子で結婚もしていないので、
全部を任されるということはないにしろ、
ある程度は私も協力してあげたい。
なんとかしないと!とも考え始めました。

 

 

転職やバイトの掛け持ちとかは、
祖母が倒れる前からうっすらと考えていましたが、ここにきて、
「これはちゃんと将来の事を考えないといけない!」
と危機感を覚えました。

 

 

そして、出会ったのがインターネットビジネスです。

 

 

メルマガを使った仕組みを作るまでは大変ですが、一旦作ると、自分の代わりにインターネットが働いてくれます。

 

実際にその仕組みを作り、“不労所得”を得ている人たちや、“自由”を得ている人がいます。

 

 

その方々は、頭が特別に良いとか
センスがずば抜けているとかではなく、
サラリーマンやOL、主婦の方もいます。

 

 

「もしかしたら私にも出来るかもしれない」
そう思い、私はこの世界に足を踏み入れました。

 

 

私はインターネットビジネスで、

 

体や心とお金にゆとりを持ち、
家族で仲良く暮らせる未来を得られる様に、

 

 

これからも一歩一歩進んで行きます。

 

 

 


***********************************************
私は現在、デパ地下のお菓子屋さんで働くと同時に、
インターネットにメルマガを使った自分の分身(仕組み)を作って、
代わりに働いてもらうようにもしています。

この働き方に出会う前の私は、
シフト制の働き方に疲れ、
「体と心にゆとりが欲しい」と思っていました。

資格取得するのは億劫、
転職活動するのは不安…

そんな時にインターネットでの働き方を知りました。


☆りんごじゅーすの詳しいプロフィール☆


あなたがもし、
今の働き方が辛く、
転職や副業で悩み、
将来に不安を感じているのなら、
私の話を聞いてみませんか?





詳しくはこちら