死刑にいたる病最後の灯里の言葉の意味は何?原作との違いも紹介

死刑にいたる病最後の灯里の言葉の意味は何?原作との違いも紹介

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映画『死刑にいたる病』は、一見人のよい所謂普通と思われていた人物が実はサイコパスなシリアルキラーであったという作品です。

ここでは、この映画のラストシーンである最後のところの灯里の言葉の意味は何なのかを取り上げたいと思います。

また、原作との違いについても調べていきます。

この『死刑にいたる病』という映画は、グロいシーンにある意味引き付けられると思いますが、灯里が最後に言った言葉は何なのか、その意味にスポットを当てていきます。

同時に、原作と映画に違いはあるのか?その点も探っていきたいと思います!

 


死刑にいたる病最後の灯里の言葉の意味は何?

加納灯里(演:宮﨑優)は、刑務所に拘束されている榛村大和(演:阿部サダヲ)に関わっていく大学生の筧井雅也(演:岡田健史)の同級生であり後のに雅也と恋人関係になります。

その灯里が最後に行った言葉が、とても重要な意味を含んでいるのです。

雅也とベッドで過ごしていた時に、雅也が「爪きれいだね」と何気なく言った時の灯里が「はがしたくなる?」と言い、雅也は驚いてベッドから転げ落ちたのです。

そして、灯里は続けてこう言うのです。

「筧井くんならわかってくれるって、彼が言ってた」

これは、かなり意味深で恐ろしい台詞です。

榛村の残酷な犯罪を彷彿とさせる言葉だったからです。

 

灯里と榛村は繋がっていた?

もしかしたら、灯里は榛村と繋がっていたという事なのでしょうか?

推測しますと、灯里も雅也と同じく中学時代に榛村に目を付けられていたという可能性、つまりターゲットとされていたのではないかという事です。

灯里の鞄から事件の資料が出てきたというシーンも、榛村が雅也だけではなく灯里にも接触していたのではと思わせるシーンです。

そして、灯里も榛村から手紙を送られていて、同じく目を付けられていたと思われるものの殺されてはいないのです。

これらの点からしても、灯里が榛村との関りや接触があったのでは?というのは確たる事実ではないでしょうか?

 


死刑にいたる病原作との違いについても比較

原作のほうが後味の悪いラストだと言われています。

原作の小説では、灯里は榛村に洗脳されている暗示があるものの、雅也は灯里と榛村の繋がりに気付いていません。

灯里の映画での台詞は原作ではないように思います。

榛村がかつての獲物の候補だった人たちに手紙を送り、その1人であった灯里が雅也の事をずっと好きでアプローチの方法を榛村に聞いていた、というもののようです。

 

ファンの声

『死刑にいたる病』を観た人の、最後の灯里の言葉についてはこんな声が上がっています。

こちらは、映画と原作との違いなどを比較した声です。

映画を観て原作が気になり、読んでみようと思うという人も多いです。

残酷さや驚き恐怖などが多い作品ですが、これらをうまく引き込ませていくのは阿部サダヲさんの演技が大きいと思います。

息をのみながら気付いたら観終わっていたというような、思わずのめり込んで観る映画だと思います。

 


まとめ

映画『死刑にいたる病』は阿部サダヲさんの怪演が凄く、残酷なシーンはありますがストーリー展開もよい作品です。

シリアルキラーの榛村は、1人だけ自分ではないと言い雅也に調べてほしいと言いますがそれは事実でその1件の事件の犯人は榛村ではないのでしょうか?

また、最後のシーンの灯里の言葉の意味は何かを探ってみました。

同様に原作との違い、特に灯里の言葉についてや雅也が気付いていたかなどに関しては少し異なるようです。

ラストで描かれているシーンは、原作と違いはあるものの灯里も榛村に支配されていたというのは変わらない意味合いでもあります。

そういう意味でも、この作品『死刑にいたる病』は映画だけではなく原作も読んだほうが違いがわかると共に1人は違うという犯人が誰なのか、映画での最後の灯里の言葉の意味は何なのか、観終えても残る謎みたいなものへの答えに導いてくれるのかも知れません。